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未開の地を開拓せよ | 株式会社フォレストコーポレーション 採用情報サイト

Project members


 

北原孝一

[2005年入社]

賃貸住宅営業職

柄沢忠祐

[2005年入社]

賃貸住宅営業

平澤雄太

[2004年入社]

施工管理担当

岡澤良充

[2006年入社]

住宅営業

赤羽由美

[2005年入社]

住宅営業

 

 

第1章

リーマンショックの嵐が吹き荒れる中の第1歩。

始まりは当時の営業の中心、伊那営業所の会議室だった。
今期の総括と、新しい期の人事異動が発表される企画営業部門、恒例の場。支店ごとのチーム編成が次々と発表されていく。しかし、その日は様子が違った。発表が終わっても名前を呼ばれない社員が半数近くいる。
当時の企画営業部門 ゼネラルマネージャーで現在常務取締役の西村はいぶかしる営業社員を前に、言った。
「今、名前を呼ばれなかった皆さんは、全員長野支店に配属となります」
場がどよめく。なぜならば、当時のフォレストコーポレーションは「信州No.1を目指す」という目標を掲げながらも、事業エリアとしては中南信地域(松本市・諏訪市・伊那市・飯田市等)としており、県庁所在地である長野市は未開の地であったからだ。しかも選ばれたのは入社5年目の若手社員が中心だった。

 

伊那営業所

当時の心境を賃貸住宅事業のリーダーであった北原はこう振り返る。
「長野市は、県内でも一番大きな市場。ずっと出て行きたかった。ウズウズしていた位。」しかし、中には異なる心境のものもいた。「やっと新しい仕事に慣れてきたところで、土地勘もないエリアに行って大丈夫だろうか」と不安だった気持ちを赤羽は思い出す。

皆が様々な思いを抱えながら、待ったなしでスタートが切られた。経営層には確たる信念があった。その頃、世間ではリーマンショックの嵐が吹いており、フォレストコーポレーションの受注も、銀行融資の可否が大きく影響する賃貸事業を中心に大きな打撃を受けていた。経営層は打開策を模索する中で、ピンチを逆にチャンスと捉えて新しい市場に挑むことを決断したのだった。

 

 

 

第2章

「今からここに支店を開設します。必ずや成功させます。」

それから1週間後、賃貸部門のメンバーはマンションの1室にいた。床には長野市の地図。今までと比較すればとてつもなく大きな市場。土地勘のあるメンバーもいない。それでも少ない情報をもとに、「どのエリアが有望なのか、どこから攻めるか。」

まだ支店もない状態。マンションの床で、公民館の長テーブルで、顔を付き合わせて議論が交わされた。そんな状況にも関わらず、実はリーダー同士が対立していた。北原と同じくリーダーを務めていた柄澤は当時をこう振り返る。

「北原とは同期で、かつ同じリーダーという立場。ライバル心が燃えないわけがない。自分のチーム運営に口を出されたくなかったし、成果でも絶対に負けたくない気持ちがあった」

同じ賃貸住宅営業に籍を置きながら、熱くたぎる想いを胸に、表向きは口もきかない時間が流れた。それでもお互いこの地での初受注を自身のチームであげようと、チーム一丸となっていた。

そんな2人を気遣いつつも、最初に受注をあげたのは、実は当初不安を口にしていた3人目のリーダー、赤羽であった。
長野に来てから1ヶ月。赤羽の初受注を追い風に、ようやく見つけた仮の事務所。まだデスクもイスもないそのオフィスに地主さんを招いて、想いを込めたプレゼンテーションがされた。

 


「私たちはまだ長野では知名度も何もない会社です。でも商品の質の高さとお客様に向かう姿勢だけはどこの会社にも負けないつもりです。今から私たちはここに支店を開設します。必ずや成功させます。どうか私たちを信頼して任せてもらえませんか。応援していただけないでしょうか。」
地主さんから契約をもらい、長野市で始めてのマンション受注となったのは進出から6ヶ月後であった。その後、長野賃貸営業チームは、営業成績で全社を引っ張る存在に成長し、北原と柄沢による指揮が今日も跳んでいる。

 

 

 

第3章

1棟1棟をモデルハウスのつもりで創り上げる。

そして「工房信州の家」のブランドを擁する住宅部門。まず、展示場を建設するべく、営業部門よりも一足早く、施工担当の平澤が長野に乗り込んだ。始めての土地。付き合いのある職人さんもいない。まだ自分も経験が十分とはいえない。平澤は当時をこう振り返る。

「今までとは全く違った。住宅密集地の土地柄で工事に対する近隣からのクレームも桁違いに多い。職人さんも始めての付き合いで、何もかも不安だった。上司のサポートがなかったら、やり遂げられなかった」
そんな平澤も展示場を完成させた後は、まだ実績がない長野では「自分が携わる1棟1棟がすべてモデルハウス」と上司に言われた言葉を噛み締めながら、丁寧に施工し、営業部門の後押しをするまでになっていった。

 

  工房信州の家  長野中央展示場

一方の営業部門。新しい地で、それも大手ハウスメーカーの展示場跡地への出展。押しつぶされそうなプレッシャーの中で、みんなもがいていた。当時、チームの中堅であった藤原と岡澤は語る。

「初回接客のスタンス、商談の進め方、チームの運営方法・・・すべてが手探り。いつも喧々諤々で飲みに行ってもケンカばかりしていた。展示場オープン初日も成果がなく、散々だった。でもそれは何が一番お客様にとって良いのかを本気で考えていた時間でもあったと思う」

それでも県産材や自然素材を使用した質の高い住宅は、今まで長野市にはなかった。進出を心待ちにしてくれていたお客様からの受注が次々と舞い込んだ。田舎の商品と受け止められるかと思っていたが、きちんと評価・理解してくれる。商品も自分たちのお客様に対する想いも間違っていない。大きな自信をつけていった時期であった。

 

 

 

 

 

最終章

文化の違う者同士が、科学反応を起こすように新しい風土を生み出した。

新しい長野支店がオープンしたのは進出してから1年後。住宅事業も賃貸事業も大きな成果を上げ、熱気に包まれていた。現在ではマネージャーに昇進した北原は振り返る。

「新しいエリアの開拓は面白かった。うまくいってもいかなくても、時間が流れるのが早かった。始めて大きな市場を任されたという状況にワクワクしていた」

今まで別々の事務所でしか勤務していなかった、営業・設計施工部門が同じフロアで仕事をするようになったのも、長野支店が始めてだった。文化が違うと思われていた両者。しかし、やはり同じフォレストの仲間。逆に刺激を与え合い、お互いを成長させる場となった。

 


施工の平澤は語る。
「営業の熱気はすごかった。自分より年下の社員が泣いたり笑ったりしながら、夜遅くまでお客様のために資料をつくっている。今までは契約したお客さんしか知らなかったけど、営業が頑張って頑張ってこの物件が回ってくるんだなと始めて身にしみた。俺達も負けていられないと思った。」

苦しい市場環境の中で、敢えて一歩踏み出す強さをもつ経営層と、与えられた場で見事に新しい市場を切り拓いた社員たち。これからも建設業界の常識を打ち破りながら、成長していくために、新たな人材がもっともっと必要とされている。