ヒストリー 企業ヒストリー
ブロック造りからの創業
昭和35年、現在の伊那市西春近沢渡(当時西春近村)にフォレストコーポレーションの前身である南信ブロック工業株式会社が産声を上げた。
創業時は初代社長 向山一人氏と後の二代目社長 小澤一、6人の社員と数名の臨時社員で事業はスタートした。
当時の伊那谷には、農業や日雇い労働の様な不安定な仕事しか無かったため、創業者達は地場産業の創出によって地域を発展させようという熱い想いがあった。
高度経済成長の波の中、新たな建設資材として注目を集めていたコンクリート製ブロックは伊那谷でも需要は大きい。
ブロック造りに地域発展の大きな夢を託して、創業者達の新たな挑戦が始まった。
南信ブロック社屋
建設請負工事へ参入
製造したブロックを使用して建設工事に関わる中、工事そのものを請負う事業部門が拡大。社名を南信建設工業株式会社に変更し、建設請負工事へ本格参入した。中央自動車道の開通に伴い、小澤一は都市部同様のロードサイドショップの時代が来ると予測。「伊那谷と長野県の都市型開発が新たな地域振興に繋がる」という確信を抱いてチェーン展開する先進的な事業者達の出店計画をすべて抑え、確実に受注をする戦略を明確に取っていった。
その後、南信地域で先陣を切って大規模店舗開発や郊外大規模ショッピングタウンの開発に乗り出す。一方で昭和62年には民間個人住宅部門として南信コスモホームを立ち上げ、当時地元の建設会社では珍しい輸入住宅や2×4工法の住宅を提供し、独自の市場開拓を目指した。
下島ショッピングタウン
上伊那No.1へ
平成元年、小澤一が二代目社長に就任。「会社は家族のようなものだ」と言い、「お客様の立場に立って考える」を常にモットーとしていた。それは、当時小澤一が目指していた「上伊那No.1」への道につながり、そのためには社員の人間形成が最重要と考え、「お客様の事業を自分の事業として捉える」「お客様を裏切らない」といった言葉を好んでいた。
民間商業施設や工場の建築は多くの場合借り入れをして進められる。実質的な共同事業者となるため、お客様から「裏切られることは無い」という信頼感を得ることから事業は始まる。お客様を何よりも大切にする姿勢は、それを実践してきた中で芽生え、育まれた考え方であった。
ブランド化する主力事業
注文住宅事業「工房信州の家」
その想いは三代目・現社長の小澤仁に強く継承されている。本当に「お客様に喜んで頂ける仕事」とは何か。その模索の中で無垢の木と自然素材を使用した、伊那展示場「木組みの家」を完成させた。そして素材・デザイン・快適性・施工精度、何一つ妥協しない、こだわりの木造住宅に特化する方向性を明確にし、「工房信州の家」のブランド化を目指した。それはお客様満足だけでなく、「信州にふさわしい住まい」を追求した結果でもあった。
信州の家には、信州で育った木が最適と考え、地元の木を地元で消費する地域木材循環の再構築を目指し、今では工房信州の家の85%以上に長野県産材が使用されている。
賃貸住宅事業「フォレストウィング・マンション/ヴィラ」
もう一つの柱である賃貸住宅事業では信州の賃貸事情の改善を大きなテーマに掲げている。徹底的な独自の市場調査に基づき、オーナー様の大切な土地で経営の展望が立つことが絶対条件だ。そして入居者にとっては、信州に住みながら、都会並みのセキュリティや居室管理等の質を確保したいとお考えの方にそれにふさわしい住空間を提供すること。
その両方を確保することでオーナー様の満足度・入居者様の満足度・そして地域の満足度を満たすものとして注目され、大きく前進している。
そして、信州No.1 を目指して
トップ営業ではなく若い社員のチーム営業によって事業を展開するという建設業の新しい営業スタイルを確立するため、新卒採用を本格的に始動。平成15年当時社員数40人ほどの地方の建設会社が、平成15年に10人、翌年に6人、さらに翌年に7人という大量採用をすることは極めて異例であった。現在従業員数は100名を超え、平均年齢は30代前半、その半数を女性が占めるという若々しく活気溢れる会社に成長した。
本当に心安らぐ住環境とは何かが問われる今日、そうした社会の要請に応えられる新しい建設業のあり方を探し、発展させ、信州から全国へ発信させていく会社を目指し、社員とお客様と共に成長していくのがフォレストコーポレーションである。